第1881回 例会記録 No. 14
平成 26 年 11月 5日
司会 : 小山哲央 編集 : 中澤広樹
会 次 第
1.点鐘
2.ロータリーソング 「君が代」 「奉仕の理想」
3.四つのテスト
4.結婚記念・誕生日祝
5.会長挨拶
6.幹事報告
7.委員会報告
8. スマイル報告
9.会員卓話 松井昭夫
10.出席報告
次回例会案内 平成 26 年11月16日・17日
地区大会(大宮ソニックシティに於)
平成26年11月26日
ロータリーの目的
雑誌記事紹介
外部卓話「大手食品メーカーにおけるコンプライアンンスについて」
会長挨拶

松ア義一 会長
会員の皆様こんにちは、
11月15日(土)、16日(日)は、第2770地区大会が、大宮のソニックシティで行われます。
基本、会員の皆様のご出席は、11月16日(日)です。当日会員の皆様にお願いしますことは、午後4時30分から、各クラブ紹介の中で、我が越谷北ロータリークラブが紹介されます。是非多くの会員の皆様で盛り上げていただきますよう、よろしくお願いいたします。
尚、点鐘は、午後1時30分です。1日お付き合いのほど重ねてお願いいたします。
地区大会は、地区を単位として、地区内外のロータリアンとその家族が年に一度、一堂に会す「地区大会」。地区大会は、ロータリーに関する情報交換が行われる場であるとともに、親睦の場ともなります。近隣のクラブ間では交流する機会もありますが、同じ地区内でも、遠いクラブと交流をもつのは難しいもの。地区大会は「ロータリーを広げる」チャンスです。
地区大会の目的は、
・地区の奉仕プログラムやプロジェクトを紹介する。
・奉仕にさらに参加するようロータリアンの意欲を高める。
・クラブレベルを超えたロータリーのビジョンを共有する。
・思い出に残る親睦の経験を楽しむ。
・ロータリーのリーダーと交わる機会を提供する。
となっています。
さて、11月は、ロータリー財団月間です。そこで、ロータリー財団についてお話をさせていただきます。
ロータリー財団の使命は、ロータリアンが、健康状態を改善し、教育への支援を高め、貧困を救済することを通じて、世界理解、親善、平和を達成できるようにすることです。
より良い地域づくりのための活動やグローバルなイニシアチブを資金面で支えているのが、ロータリー財団です。クラブや地区に補助金を提供しているほか、ポリオの撲滅や平和の推進といったグローバルなキャンペーンを展開しています。こうした活動や補助金を実現させているのが、皆さまからロータリー財団へのご寄付です。
ロータリー財団及び米山奨学生受け入れの為のご寄付へのご理解・ご協力をお願いします。
それでは、本日の卓話にはいります
加齢による脳の老化は30歳で自覚するべきとのことです。
30歳を過ぎたあたりか顔は思い浮かんでいるのに名前がでてこないという、ど忘れ的なことが起こってきます。10代のころは親のこうした症状をみて馬鹿にしたものですが、いざ自分の身に同じことが起こると、とてもじゃないが笑えません。
こうした脳内での「検索」がうまくいかない症状は加齢が原因ということで片づけられてしまうことがほとんどですが、加齢による脳の老化がはじまってきたということですから、頭を使う仕事をしている人などは、ちょっと危機感を感じるのではないかと思います。
身体は使わなければ加齢とともに衰えていきます。体の一部である脳も例外ではなく、脳を使わない生活を送っているとその働きはどんどん低下して使わない筋肉と同じように脳そのものが萎縮していきます。
テレビばかりを見て本を読まない、毎日同じことの繰り返しで刺激がない、異性に対してときめきがない、パソコンやスマホに依存して自分でモノを考えないetc・・・
なんだか最近はこんな人が増えているらしいですが、こんな人は脳の老化も早そうです。
脳細胞の成長が止まるのは30歳前後といいますからこれ以降は頑張って脳を使っていかないとどんどん脳の老化が進んでいきます。しかし、逆をいえば使えば使うほど活性化するのが脳です。
脳に刺激を与え続ければ、脳細胞はいくつになっても育ちます。
60歳以上の高齢者を対象に行った調査では、積極的に趣味をやるなど活動的な人はそうでない人に比べて「記憶力」と「注意力」が明らかに上回っていたそうです。つまり、脳に刺激を与えて脳を使うことは継続すれば、脳力の低下を抑えられるのはもちろんのこと、痴呆の予防にもなるってことなんですね。
脳の老化を防ぐ「ブレインフード」
加齢とともに脳の活動が衰えるのは脳の神経細胞が日々死んでいくからにほかなりません。
一説には30歳をすぎたあたりから1日に1〜10万個単位で神経細胞が減っていくといわれています。また、加齢にともない、脳の神経細胞の膜が徐々に固くなることもあって神経細胞同士の情報の受け渡しがうまくいかなくなり、脳内の情報ネットワークも働きが鈍ってきてしまいます。
このため脳内の記憶の検索がうまくいかなくなって「思い出せない」、「物忘れが増える」、「判断力が鈍る」、「新しいことへの興味や関心が薄れてしまう」といったことが起こってしまうわけです。
年齢とともに記憶力がどれぐらい低下するのか?ということですが、50〜59歳では25歳時の記憶脳力のほぼ半分、70歳を超えると最高で3/4まで失われるといいます。
こうした脳の老化を食い止めるには、絶えず脳に刺激を与えることが大事なので脳を使うようなアクティブな趣味や活動(スポーツなど体を使うものも脳の活性化につながります。)をすることはもちろん、日頃から五感を使った、コミュニケーションを取ることも脳の老化防止に役立ちます。
好奇心と刺激のある毎日を送っていれば脳は老化する暇もないってことですね。
また、「脳機能改善食品」といわれるブレインフードを積極的に補給するのも有効です。
「脳機能改善食品=ブレインフード」というのは、DHAとかイチョウ葉とホスファチジルセリンといった成分のことで、「脳にいい」とか「頭がよくなる」という触れ込みでサプリメントになっているもののことです。
特にDHA・イチョウ葉・ホスファチジルセリンはブレインフードの BIG3ですから覚えておいてください。(それぞれの詳しい働きは別ページで詳しく解説してあるのでそちらをご覧になってください。)
DHA(ドコサヘキサエン酸)
【期待される作用】神経系の発達、記憶、学習能力の向上、網膜反射脳の向上、制がん作用、抗アレルギー作用。
【特徴】脳、網膜、神経、心臓に含まれる成分で、脳ではシナプス細胞膜の流動を改善して記憶、学習機能など脳機能全般の改善、抗認知症、敵意性抑制作用などで知られている。魚油から摂取できる。
EPA(エイコサペンタエン酸)
【期待される作用】血小板凝集抑制(血栓防止)、血中脂質低下作用。
【特徴】魚に多く含まれる不飽和脂肪酸の一種。魚油に多く含まれる成分で、一日にマグロの中トロなら3切れ、イワシ2尾、サンマ1尾など、必要量は食生活の中で十分に摂取できる。日本では閉塞性動脈硬化症の医薬品となっている。
イチョウ葉エキス
【期待される作用】脳循環不全による機能障害の改善、記憶改善、抗認知症。
【特徴】欧州諸国では、認知症の医薬品として認められている。イチョウの若葉から抽出されるイチョウ葉エキスはサプリメントでしか摂取できない。サプリメントを選ぶ際には、フラボノイド類24%以上、テルペノイド6%以上を有し、アレルギーを起こすギンコール酸の含有量が5ppm以下の規格品であることを確かめて。
アスタキサンチン
【期待される作用】強い抗酸化作用。
【特徴】オキアミ、エビ、カニ、鮭などに含まれる天然色素カロテノイド類の一種で、β-カロテンの40倍、ビタミンEの1,000倍もの抗酸化作用が。メラニンの生成を抑制し、抗炎症作用を有する。LDL(悪玉コレステロール)の酸化を抑制し、血流改善作用があるといわれる。また、血液脳関門、網膜関門を通過できることから、脳や目の機能を正常に保つ働きがあるといわれる。
ミルクペプチド
【期待される作用】抗ストレス作用、睡眠改善作用。
【特徴】牛乳由来のペプチド(アミノ酸が結合した構造)。欧州では古くからミルクにリラックス効果があることが知られている。ストレスをためたり、睡眠不足が続いたりすると、脳の老化は促進されるのは言うまでもない。
以上、会員の皆様も是非参考になさいまして、心身ともに健康で、ロータリー活動をしていきましょう。
結婚記念・誕生祝い

結婚記念祝い
小河内梅幸 黒田幸英 鈴木英男
降田富男 山口秀行
誕生日御祝い
石井知章 市川洋和 江口公晴
小林操 中村義雄
(敬省略)
代表挨拶 小林操会員
本日11/5誕生日を迎えることが出来ました。
今後ともロータリー活動に邁進してまいります。皆様宜しくお願いします。
幹事報告

小宮山大介 幹事
・第2770地区2013-2014年度の年次報告書が届きました。
・天候不良により中止の地区大会記念ゴルフ件
参加記念品を地区大会時に配布致します。
・マクロミル社より、全国ロータリークラブの実態調査
報告書が届きました
・11/16地区大会参加をよろしくお願いします。
会員卓話
松井昭夫 会員
皆様こんにちは。本日卓話をプログラム委員長から指名され、卓話をさせて頂きます。なにせ口下手なほうですから,まとまりの無い話になると思いますが、よろしく御願い致します。
前半は私の個人的な部分、68年の人生の色々等々とロータリーの入会迄の絆のあたりを少し触りながら、話を進めていきたいと思います。後半は.今の話ではありませんが、江戸時代の居酒屋の話。現代でも参考になる話だと思います。又なかに大岡裁き等を盛り込んで進めていきます。
さて私は、1946年9月21日に新潟県の現在上越市で生まれ、18才の時に東京に出てきまして49年になります。昭和40年に東京の羽田の「村山鋼材」という会社に就職し、そこで現場営業等を経験し、現在があるわけです。ここでなぜ私が、会社を辞めたのか少しお話をします
入社2年目に人手が足りず営業も夜勤の現場の手伝いをさせられました。当日は霙交じりの天気で、仲間が「今日休めばいいよ」と言ってくれましたが、勤務することにしました。しかし、作業開始後10分で最悪の事態が発生致しました。コイルをのばすラインがありまして、私が板の長いものをラインから外そうと板に手を掛けた時に、現場の責任者がラインのボタンを押してしまいました。ラインの先にはローラーがあり、私は仰向けに倒れてしまいローラーに足を挟まれ背中の下から来た鉄板に左足の踵とを裂かれました。
現場もパニツク状態でしたから、責任者がラインをバツクさせた為に、私の足は骨折してしまい、一時は左足首切断と言われましたが、幸いにもそこに,腕の立つ整形外科医がおりまして、当時移植はあまりされていない時代だと思いますが、右の腿から左足に移植をしまして半年間の入院生活を送り、無事退院することが出来ました。
闘病生活の中で一番苦しい思いをしたのは、四の地固めの1ヶ月でした。50年近い今でも、左足が自然と右足の腿にきます。
退院して暫く休み会社に戻りましたら、「私を営業から外す」と話がでまして、私としては営業をやりたい思いがありましたので、田舎の先輩に御願いして営業を続けることが出来ました。その代り靴が履けない為、サンダルを履きながらの営業で苦労しました。
それから数年後に問題が起きました。私を助けてくれた先輩が会社を辞めることになり、それが当時会社の競合に勤めることになり社長も引き止めましたが、最後はそこの会社に勤めることになりましたが、そこからが問題で新しい会社の歓迎会のときに前の会社が接待で使う銀座のクラブに行った為に問題が起き、会社では、この時に同席した者がいるのでは、ということになり調査が始まり私が同席していることになり、毎朝朝礼で辞めた先輩と付き合いのある人間は首という雰囲気になりみんなが私から、距離をおくようになりました。
でもその中で一人だけ私の味方がいました。その彼とは今でも、大事な友として関係を持ち、同じ鉄の商売をしております。有力な仕入れ先として絆を持ちながら、此れからも大事にしていきます。(人の絆を深く感じた瞬間です)問題が解決したら、私は会社を辞める事にしていました。3ヶ月後に私は関係無い事がわかり、会社を辞めることにしました。昭和46年8月の事でした。(人間の弱さ強さを体験した私の人生の最大の勉強でした)
それから2年の月日が経ち、48年の4月に今の会社設立の話が出て、私が社長で、3人でスタートしました。しかし、中々3人と言うのは、話がまとまりませんで、2年で私が二人の株を買取りまして現在に至りました。
48年のオイルショックは、皆さんご存知ですよね。そこから、長い不況が続き苦労の連続でした。その後バブルが来て、その後バブルの崩壊と又、長い不況が来ました。
ある意味良いこと無続きで、平成の4年に現在の本蓮工場の土地を購入した時に不渡りをくらい約7,500万の不良債権が発生しまして、「土地を手放すか」と思案しましたが、幸いにもその期は利益が出ていた為に、1回で処理することが出来ました。その時も友の大切さを感じました。
現在の新日鉄住金会長の宗岡正二さんです。色々と励ましてくれた友でした。宗岡さんとは、係長時代からの付き合いで約35年なります。年も同じ21年生まれで、相手は東大、私は田舎の東大?でも何か馬が合い、現在まで続いております。決して偉ぶらない、曲がつた事は嫌いな性格で現在、日本柔道連盟の会長も務めております。こんな私でも付き合いをいただける事に感謝し、これからも友として大事な関係でいたいと思います。
もう一人私のロータリーの親である太田さんの存在を忘れることが出来ません、私も本来、一年でクラブを辞めるつもりでいました。平成18年4月12日に入会しまして、早8年になります。「なにか足抜きが出来ない世界に入ってしまったのかな」と言う思いがしております。
この辺で前半を終わりまして、後半に移りたいと思います。
余りロータリーとは関係ない話ですが、あの江戸時代に現代の商売に通用する場面がありますので、
お話して見たいと思います。『居酒屋』とは『広辞苑」によると『店先で酒を飲ませる店」。又、安酒を飲ませる店』とある。要するに、庶民に安直に酒を飲ませる店のことである。今で言う立ち呑みやなどがその発祥、あるいは原型である。さて今から280年前ほど昔の江戸時代中頃のこと,その居酒屋の元祖とも言うべき店が江戸の神田に登場して大繁盛していた。店の名は『豊島屋』場所は、日本橋川の鎌倉河岸に近くにあつた。今の千代田区内神田鎌倉橋に近いあたり(旧名鎌倉町)がその地だ。その頃は、享保から元文にかけての時代で,徳川八代将軍吉宗の時代ある意味では、世の中が落ち着いていた時期だったかも知れない。吉宗に登用されて町奉行に就いた大岡忠相の数々の裁きが庶民の間でも話題を呼び、酒の肴として事欠かなかったかも知れない時代かな?
話を戻してその豊島屋ですが、最初は酒を売って生業となす酒屋だった。当時酒は客が、一升徳利を下げて酒屋に買いに行き、酒屋は樽から升で計りお客の徳利に移して売るという計り売りが普通の時代だった。
ところが、長屋住まいの呑んベいたるもの買つたらすぐに呑みたくなるのが人情、そんな客が多いのに目をつけた豊島屋の主、それならばと店の脇に立ち呑み専用の箇所を設けた。この鎌倉河岸は江戸湾.に着いた大船から江戸の町中へと運ぶ積荷の荷揚げ地で、日本橋川を逆上って運ばれてくる集積地だった。豊島屋はそこに近く、横もち費用がかからず、その分安く売ることが出来た。積荷人足商人など人も多く集まり、多量の酒が売れた。『酒を売って、酒を売らない.』其れをキャッチフレーズにして客を呼び、それが口伝に其れが広まった。酒屋だから酒は売るが、しかし、利を乗せては売らないというわけである。立ち呑み場は次第に広くなり、よしず張りから屋根つきの小屋にまで広がり、客はどんどん増えた。「ではどうして利益を上げたか」というと、つまみもので利を出したのである。
豆腐を切って焼き、味噌をつけて田楽として出したり,更には干物を焼いたり、漬物や生野菜まで出すようになった。それも安値で提供したのだった。関西で言うところの「あて(酒の肴)で儲ける」という商法である。店には腰掛として醤油樽を置き,飯台として白木板を空木箱に渡して呑み台にした。更には余りの繁盛にお運びとして女子までおく有様。元気のいい女子が人気を呼び,またまた客が増えるといつた好循環で盛況が続き店を拡張した。居酒屋で酒が売れると空樽がどんどん出る木樽小売したのである。
酒樽は(18リットル)がほとんどだから武家屋敷町家.でも漬物用として使われた。青物を糠漬けするのに丁度良く需要は旺盛だったようです。樽には酒が程よく染み込んでいて漬物の味が良くなり、新しい樽よりも重宝がられていたようです。
話は変わりますが最近は神田川や日本橋川、あるいは目黒川といった、東京の川のクルージングの人気が高いですね。江戸時代には東京も、あちこちに川が縦横に流れていた。それがどんどん埋め立てられてなくなってしまい、そうした事への郷愁の思いが強いのですかね。日本橋川も日本橋が架かる以前は平川と呼ばれていた江戸地内の水運の中心に川だった、豊島屋などはまさにその恩恵を最大に受けて商売を拡大させたのである。いづれにしても酒は人類にとつても文化技術の歴史そのものだ。しかるに居酒屋は「庶民に対する、必然的な商売だった」と言えるのでしょう。
先程の話の中に大岡越前の話が出ましたので、皆さんご存知の方が沢山いると思いますが、少しお耳の時間を頂き、大岡裁きのさわりを話してみたいと思います。
左官屋さんが、書き付けと印形と三両入った財布を拾う。落とし主は印形から大工と解つたので、早速、左官屋さんは大工の所に届けに行く。ところが大工は、書付と印形は貰うが、「落としたお金はもう自分のものでないから持って帰れ」と言って受け取らない。
左官屋さんは強情で,「そんな金欲しくて届けたのではない」と、口論になり。取り合えず、大工の大家さんが仲裁に入って、左官屋さんは、そのまま帰った。
今度は、左官屋さんが自分の所の大家に一部始終を話したら、その大家さんは怒って、早速大岡越前に訴え出る。白州にでた両人各々言い分をのべて、「金はいらない」と言い張った。そこで越前は、一両出して「二両ずつを両人に褒美としてつかわす。二人とも三両懐に入るところを二両となったのだから一両の損。奉行も一両だしたのだから一両の損。これ呼んで三方一両損なり」で無事解決した。
この後、越前の計らいで膳がでる。両人喜んで食べようとすると、奉行「いかに空腹だからと言ってあまりたんと食するなよ」「へぇい、多かあ(大岡)食わねえ」「たった えちぜん(一膳)」これにて一件落着。「本日のお白州、これまで」と言う。大岡越前守のお裁きのお噺でした。
私は個人的には今のロータリーの四つのテストに似ている部分があるのではと思っています。当クラブにも、四つのテストからはみ出した人もいましたが、今はテストに相応しい人ばかりで、「此れからも皆さんと楽しいクラブライフを続けて行けたらと幸せだな」と思います。
「さっと来て去る波、遅い波と、その波長に長短はあるものの、行きつ戻りつつ、浮かびつつ,沈まずゴールに入る。これが人生であると愚痴を聞いてくれる友を持ち、相通ずる友との絆を深めるクラブであるならば、我がクラブは永遠である」と思います。
本日は纏まりの無い話にお付き合い頂きご清聴、誠に有難う御座いました。
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