再1904回例会

第1904回 例会記録   No.31
平成 27 年4月22日
司会 : 並木 勇一     編集 : 江口 公晴
会 次 第
1.点鐘
2.ロータリーソング
         「それでこそロータリー」
3.お客様紹介
  越谷東ロータリークラブ
  会長 守屋トミー 様
  幹事 岡崎 愛子 様
  米山奨学生 常 安h 様
4.会長卓話
5.幹事報告
6.雑誌記事紹介
7.委員会報告
8.スマイル報告
9.内部卓話
         太田 靖彦 会員
10.出席報告


会長卓話
 
松ア 義一 会長

会員の皆様こんにちは。
4月18日〜20日に、国際親善旅行でサイパンに行ってまいりました。国際奉仕委員会橋忠克委員長をはじめ、会員の皆様大変ありがとうございました。内容につきましては、会報でご報告させていただきます。
会長卓話でございますが、点字ブロックを発明したのは、三宅精一氏です。

三宅精一氏は、 1926年(昭和元年)岡山県倉敷市、青果店の長男として生まれ、戦後、岡山市に移り住み旅館業を営みます。その当時よりあれこれ工夫する事が好きで、町の発明家として有名だったそうです。そして無類の動物好きで、その当時、非常に珍しいセントバーナード犬をつがいで飼っていました。このセントバーナード犬が、点字ブロック誕生の大きなきっかけになります。

1963年 (昭和38年) 頃、そのセントバーナードに子犬が生まれた事を風の便りに聞き、譲り受けたいと使者を出したのが生涯の親友、岩橋英行((社)日本ライトハウス元理事長)でした。そのころ精一は、交差点で白杖を持った一人の視覚障害者が道を横切ろうとした際、クラクションを鳴らされ、その場にうずくまってしまう危険な光景に出会いました。以後発明家精一は、視覚の不自由な方が安全に歩行出来る方法に没頭します。

又、そのころ、セントバーナード犬との縁で、親交を深めていた日本ライトハウス理事長の岩橋は、ライトハウスや視覚障害の事を熱く語り、既に点字ブロック構想をあたためていた精一は運命的なものを感じ、一気に点字ブロック構想が加速する事になりました。そして何より、親友である岩橋は、父武夫(日本ライトハウス創始者)と同じく、網膜色素変性症により、あと5〜6年で失明すると医師に宣告されていたことが、大きな原動力になっていたと思われます。

危険な場所と安全な場所を判別する方法のアイディアは、岩橋の「コケと土の境が靴を通して分かる」との一言から生まれ、なにか突き出たブロックを作ろうとしました。建築会社勤務の経験がある弟、三郎((財)安全交通試験研究センター現理事長)と共に、試行錯誤を繰り返し、私財を費やし、1965年(昭和40年)、自宅を開放し「安全交通試験研究センター」の看板を掲げ、点字ブロック第1号が完成しました。

岩橋の影響を強く受けていた精一は、視覚障害者の「人間としての自立」その為の「単独安全歩行」、安全誘導システムの全国展開を考え、点字ブロックを日本の各都市、駅に敷き詰める、という壮大な夢に向かって険しい道を歩みます。

1967年(昭和42年)、精一は、点字ブロック普及の為、岡山県盲人協会会長の岸本重太郎を訪ねますが、物売りのたぐいと思われ追い返されてしまいます。だがその程度でめげる精一ではなく、その後何度も足を運び岸本を訪ねました。やがて岸本は点字ブロックの機能を理解し、精一の志に感銘し、良き協力者として、点字ブロックの普及に努めます。更に、精一は点字ブロックの普及の為に、岡山県、建設省(現国土交通省)と何度も交渉し、ついに、1967年3月、岡山県立岡山盲学校の近く、国道2号線の横断歩道前に、精一が寄贈した230枚の点字ブロックが設置されました。これが世界初の「視覚障害者誘導用ブロック」です。完成式を前に、岩橋によりテスト歩行が何度も行われたそうです。

点字ブロックの理解の為に、県や市に、点字ブロックを寄贈していきました。更に、振動で信号の色を知らせる、振動触知式信号機を開発、寄贈し、その開発費に多大な私財を更に投ずる事になりました。

しかしながら注文はおろか、問い合わせの電話すら無い状態で、経済的に非常に苦しい時代が続きます。障害者を理解するユニバーサルマインド(国境・文化を超えた問題を共有する)等皆無で、今では差別用語となっている障害者を表す言葉が、公然と使われていた、そんな時代でした。


1970年(昭和45年)、1本の電話から転機が起こりました。電話の主は東京都道路局安全施設課で、点字図書館や盲人福祉センター、東京へレンケラー協会などの視覚障害関係の施設が集中した、高田馬場駅東側一帯に点字ブロックを採用する、1万枚でも予算計上可能との連絡でした。

1973年(昭和48年)厚生省(現厚生労働省)が障害者福祉モデル都市事業を制定、首都東京での敷設がモデルケースとなり地方自治体へ広がりました。

道路以外でも、視覚障害者の転落事故防止の為、鉄道のホームの白線も、現在では点字ブロックに置き換わっています。

長年の苦労、心労により、1976年入院、そして1982年、私財を投じ、人生の大半を公益的事業にささげた三宅精一氏は、志半ばに帰らぬ人になりました。享年57歳です。

現在、外出時には必ずと言っていいほど眼にする点字ブロック。発明者の三宅精一氏の名は知られていませんが、少しずつ敷設枚数は増加しています。三宅精一氏の見た夢が早く現実となることを切に願います。

  
  線状ブロック 点状ブロック
・左の、凹凸が線状の物が進行方向を示す「線状ブロック」
・右の、凹凸が丸い物が注意を示す「点状ブロック」

道路とのコントラストを強くするため黄色が多いですが、他の色もあります。
※正式名称「視覚障害者誘導用ブロック」
 「点字ブロック」は「(財)安全交通試験研究センター」の登録商標です。





幹事報告
 
小宮山 大介 幹事

・地区より、2017-2018年度のガバナー決定の通知がきました。上尾西RCの大貫等会員です。
・地区より、新入会員速報が届いております。
・4/21越谷RCの公開例会がございました。


お客様挨拶


 

 
越谷東ロータリークラブ
守屋 トミー会長
岡崎 愛子 同幹事
こんにちは。日頃より松ア会長、小宮山幹事をはじめ、越谷北クラブの皆様には大変お世話になっております。ありがとうございます。

来たる5/16、当クラブで本年度最も大きなイベントとなるチャリティーコンサートへのご協力のお願いです。サンシティ小ホールで行います。

時間は12時登録の12時30分開始を予定しています。なぜこの時間かといいますと、この趣旨に賛同して下さったバンドがかなり多くなり、8バンドが応援して下さることになりましたので時間が長くなっております。

趣旨ですが、@越谷近郊で活躍しているバンドの発掘、A多くの若者に奉仕の場を提供する、Bひとりでも多くの若者にロータリークラブの存在を知ってもらう、という若者をターゲットにしたイベントです。

入場料は頂きませんが、東日本大震災への協力ということでワンコインコンサートとさせて頂きました。

出演者、来場者、照明からPAまで皆様から500円を頂きます。ロータリアンのご参加は大歓迎ですが、できれば皆様のお知り合いの高校生、大学生、20代、30代の方々に参加して頂ければ嬉しく思います。500名のホールですので皆様のご協力なしには成し遂げられません。やるからには本気のステージを作りますので、是非ご協力頂ければと思います。面白いものを作ります。是非ご来場ください。よろしくお願いいたします。

 


米山奨学生 常 安h 様

皆様こんにちは。本年度米山奨学生に採用して頂き、心より感謝申し上げます。私は常安hと申します。覚えにくいですからキキと呼んで下さって結構です。

私は中国の一番北の方、黒龍江省から参りました。私は本当に小さい町で生まれましたが、小さい頃から大きな夢があります。私の夢は、より多くの世界を見たいと思っています。私はローターアクトに入るまではずっと一人でこの世界を見て、日本人と交流していました。ローターアクトに入ってからは、一人でこの社会では生きていけないと思うように変わりました。
一人でこの世界のことを見ても、他の人のことを理解できないと思います。ロータリーに入って私の人生が変わったと思います。これから、ロータリアンとしても奨学生としても奉仕の理念をより深く理解して、思いやりと感謝の気持ちを持って活動していきたいと思います。これから1年間、皆様とお付合いしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。


雑誌記事紹介
 

本間 睦人 会員

皆様こんにちは。雑誌記事で気になった点があります。急性虫垂炎。かつてはすぐに切ったと思います。私の小学生のクラスでも5、6人手術していたと思います。私は神経質で、ちょっと右脇腹が痛くなると医者に行って診てもらっていました。原因は今でも分かっていないようですが、最近では主に内視鏡を使って穴をあけて手術するようです。以前はすぐに切っていましたが、そうするとそこから病原菌が入り余計に危なくなるということで、2、3ヶ月抗生物質で様子を見て、その症状でどのような手術をすべきか決めるのが望ましいそうです。私は腹を切るのが怖かったのですが、内視鏡で手術できるそうなので、もし盲腸になっても少しは安心できるのかな、と思いました。


委員会報告

国際奉仕委員会:橋忠克 委員長

皆様こんにちは。4/18〜20で国際親善旅行へ行ってきました。参加された会員の方々、どうもありがとうございました。また、お疲れ様でした。






会員卓話
 
太田 靖彦 会員

私の幼少期

皆さんこんにちは。プログラム委員長中澤さんから卓話の依頼がありました。皆さんの前でお話する話題もありませんが、皆さんと違うのは生まれた場所が日本でないぐらいですので、少し幼少期のお話をさせていただきます。
先々週も木村さんが戦後70周年の話をされましたが、今年は戦後70年になります。昭和20年に生まれた方が70歳の古希を迎えます。うちのクラブでは山口先生、岡アさんです。

戦争も70年たてば風化して、笑い話のようですが、今の若い人にはアメリカと戦争をしたことさえ知らない若者がいることには驚きさえ感じます。
当クラブでは岡アさんまでが戦前生まれで、18名になってしまいました。当クラブ55名の丁度3分の1です。

さて私は1938年(昭和13年)8月21日に、中国のハイラルと言う街で生まれました。ソ連、モンゴルの近辺ですが、その先もっと国境に近く歌でも有名なマンチュウリ(満州里)という街の近くです。

2、3歳の時、父親の仕事の関係で少し南に下ったハルピンという街に移り住み、終戦を迎えました。

ハルピン市は、今では中国の北部で一番大きい街として知られ、人口も1000万を超えているようです。行かれた方もいると思いますが、日本からは関空、新潟空港から直行便が出ています。1909年に、駅頭で伊藤博文が暗殺された事でも有名です。

ロシア革命が1917年に起き、ニコライ2世時代のロシア帝国は崩壊し、世界初の社会主義の国が生まれた訳ですが、ロシアから近いハルピンにはロシア帝国崩壊と共に、通常白系ロシア人と呼ばれる難を逃れた旧ロシア帝国の人々が大勢いました。今でもそんな訳でしょう、ハルピンは中国人との混血のかわいい娘さんが多いところです。私のところにもロシアのお手伝いさんがいたようで、覚えていませんがロシアの子守り歌で育ったようです。

冬は平均マイナス20度にもなり、マイナス30〜マイナス40度まで下がることもあるようです。寒すぎて、雪は少なく、もっぱらスケートで、氷の記憶だけがあります。社宅に共同浴場がありまして、風呂から出て濡れたタオルを下げて4、5歩歩くと、ばりばりという音がして瞬時に凍り、逆さにしても立つという状態でした。今でも1月には札幌の雪まつり的な氷の彫刻のお祭りが世界的にも有名です。

ハルピンの街は松花江、ロシア名でスンガリという大河が流れています。歌手の加藤登紀子もやはりハルピンからの引き上げ者で、表参道に「スンガリ」というロシア料理の店を開いています。NHK番組にファミリーストーリーというのがありますが、梅宮辰夫も私と全く同じルートでハルピンから帰ってきたようです。

終戦の時に私は小学1年の7歳でしたから、記憶も断片的ですが少しはあります。8月9日にソ連は日本との不可侵条約を破棄し、満州に攻め込んできました。ソ連に近いハルピンには4、5日で攻めてきたのではないでしょうか。

私の家族は社宅住まいで、その中にあるテニスコートに全員座らされ、周りには通称マンドリンという50連発の機関銃をもった兵士がいて、その間に他の兵士が家探しをしてめぼしい物は持って行く、といった状態でした。教育程度は日本より低く、ぜんまいを巻くことを知らない兵士は、取った時計を腕に何本も付け、止まると捨てていたなんて話を聞きました。

この戦争で、朝鮮半島は南北に分かれる悲劇が起きた訳ですが、日本も大阪あたりで南北に、とソ連が主張した話を聞きます。

終戦後、1年間現地におり、21年8月にハルピンを出発して、歩いたり汽車に乗ったり、最後は今の北朝鮮と中国の国境近くにあるコロトウという港町から博多港に帰って来ました。

2ヶ月以上の旅で、田舎の天草に着いたのは、秋も深まった11月頃だったようです。引き上げの途中では、いろいろな苦労もあったようですが、あまり覚えていせん。

そんな中で1、2歳の乳飲み子は死ぬかもしれない、だったら中国人に預けよう、そんな時代背景からあの戦争孤児が生まれた訳です。
引き上げ者、戦争孤児、等は今となっては死語に近い言葉になってきました。
今風に言えば私なんか帰国子女なのでしょう。私なんかも1年以上学校に行かなかった訳ですが、同じ境遇の人は1年留年した形で学校に行った人が多い中で、親戚に校長がいて、「小学生の低学年では1年位学校行かなくてもさほど関係ない」と言われて、そのまま2年生の12月から日本の学校に行くことになりました。

その後父親は日本の会社に復職、北九州の門司工場に勤務、家族で引っ越しする訳ですが、どういう訳か都会の戦後の食糧事情の悪さ等で、天草で1年程慶応元年生まれの爺さんと明治生まれの婆さんとの生活をしました。良きにつけ悪くにつけ、思い出になる体験でした。

その後遅れて門司に行き、4年から新しい学校に編入。中学、高校に進み、昭和32年に上京し36年からサラリーマン生活7年間を経て、今の仕事に就きました。

あと2年で、田舎から出て来て60年の歳月が過ぎようとしております。
海も山もない大陸で幼少期を過ごし、はっきり覚えていない戦争を体験した私にも、戦争の悲惨さを後世に伝えていくことはできないかと思っています。本当に戦争を体験、覚えている人は80歳以下にはいないと思います。今年喜寿を迎えますが、平和ボケしないように、もう少し頑張ってみたいと思います。
有難うございました。



ご挨拶

例会に先立ち、中島正義会員よりご挨拶を頂戴しました。

 

中島 正義 会員

昨年の12月から体調を崩しまして、約4ヶ月欠席することになりました。皆様にはいろいろとご迷惑をおかけしました。会長、幹事をはじめ、出席・会場運営委員会岡ア副委員長にも大変ご協力頂きまして、委員会運営をして下さいました。本当にありがとうございました。会員の皆様にも大変ご心配をおかけいたしましたが、無事90%位まで戻りました。今後とも、以前にも増してご指導の程よろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。




越谷東ロータリークラブ会長守屋トミー様、幹事岡崎愛
子様、米山奨学生常安h様、ようこそいらっしゃいまし
た。太田靖彦様、卓話よろしくお願いします。      
                
松ア義一
東クラブ会長・幹事、ご来訪ありがとうございます。太田
さん、卓話よろしくお願いします。常さん、ようこそ?迎!
                
小宮山大介
中島さん、元気になって良かったですね。太田さん、卓
話楽しみにしています。越谷東RC会長・幹事様ようこ
そ。                 
中村義雄
本日はお世話になります。         守屋トミー
越谷東RC守屋会長、岡崎幹事ようこそ!!米山奨学
生常安hさん、1年間よろしくお願いします。

大熊正行
越谷東RC会長、幹事さんご苦労様です。ネクタイ忘れ
ました。               
小河内梅幸
太田靖彦会員、本日の卓話よろしくお願い致します。
鈴木由也様、中島正義様、ご回復おめでとうございま
す。越谷東RC守屋会長様、岡崎幹事様いらっしゃいま
せ。             鈴木英男
・越谷東RC会長守屋様、幹事岡崎様ようこそいらっしゃ
いませ。米山奨学生常安hさん、よろしく。太田会員、
卓話楽しみにしています。
青木清・
宮ア敏博・
堀野眞孝・
小山哲央
会田謙二・
佐藤要・
今井英治・
須賀篤史
江口公晴・
岡ア勲
中島さん、おかえりなさい。           本間孝
無事に帰国しました。国際親善旅行に参加して頂いた
方々、お疲れ様でした。       
橋忠克
・国際親善旅行、お世話になりました。米山奨学生常
安hさんようこそ!!          
木村二夫
・国際親善旅行には橋委員長他会員の皆様お世話
になりました。               
関森初義
サイパン旅行御苦労様でした。太田さん、卓話よろしく
お願いします。             
松井昭夫
国際旅行、欠席しました。お客様いらっしゃい!!
                          
太田靖彦
長く休みまして大変迷惑かけました。今後共よろしく。 
                      
中島正義
今日から3ヶ月間着用していたコルセットがなくなり楽に
なった反面、不安な気がします。  
石井知章
私は3月16日から8日間、中国雲南省でチベットに近い高さ3,200m付近を旅行中、体調を崩し、やっとの思いで帰国。その後、点滴療法で1ヶ月苦しみましたが治りました。ご心配をかけましたが、又お付合いをさせて頂きます。       鈴木由也
世界平和の為に。        末木照久・
関雄二郎
今晩久しぶりに六本木で飲み会あります。世界平和と家庭平和の為に。            降田富男
まいど、スマイルありがとうございます。  本間睦人

出席報告
会員数 55名
出席免除者 11名
出席者 43名
欠席者 12名
出席率 78%


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